こんにちは!Chihiroです(*・ω・)ノ
いやぁ、私個人的に好き嫌いが多いのですが、フルーツは割と何でも大好きで、フルーツショップやスーパーの生鮮品コーナーを通る度に美味しそうなフルーツがないかハンティングしているんですが、最近、というかずっと前から思ってたことがあるんですよね。
満を持して(?)この場を借りてぶっちゃけようかと思うんですが、
正直言って・・・・・・
店で見かけるほとんどのフルーツに、
全く生気がないです(;´・ω・)
以前はフルーツ売り場に行くとワクワクしていたのですが、
もはやため息すら出てしまう今日この頃…
見ても食べたいなぁと思うフルーツが見つからないんです。
目の前には大量に盛られたリンゴやオレンジの山。
リンゴは日本のものより小さいながらも、緑のリンゴや真っ赤なリンゴなど、
いろとりどり。
山ほど盛られているのに手が伸びません・・・
生気がないと感じる理由は香りにあります。
いやぁ、香りが全くしないことに私は不気味さすら感じるんですよねヽ(´o`;
どのくらい香りがないかというと、目をつぶったら鼻がぴったりリンゴにくっつくくらいの距離でなければリンゴだとわからないくらい無味無臭です。
売り場には
たくさんの
いろとりどりのフルーツが
きれーいに並んで盛られているにもかかわらず、
なぜ香りがしないのか。
Contents
「香り」を失った理由
そもそもフルーツは本来果実の中にある種を広めるため、熟したタイミングで動物に食べてもらうためにその香りを強くします。
強い香りがなければ動物に見つけてもらえず、種を繁栄させにくくなります。
ではなぜフルーツが香りを失ったのか、少し考えてみましょう。
未熟なままの果実が収穫されたから?
選果機にかけたから?
肥料や農薬を与えられたから?
収穫から時間が経っているから?
いろいろな要因が考えられます。
けど、どの要因が直接的な原因かはわかりませんし、直接的な原因を特定することに意味はありません。
ただ、1つだけ言えるのは「香り」の優先順位が低いからでしょう。
「香り」が大切な理由
そもそも香りって実はめっちゃ大事です。
花は香りでミツバチなどの花粉の媒介者を惹きつけますし、
人間も元々香り、言い換えると異性を惹きつけるためのフェロモンがあるわけですよね。
たとえば、中学生になった娘が父親のことを臭いと言ってくるのは、
近親相姦を避けて種の繁栄・進化させるためです。
このフェロモンを偽ったり隠すために香水が存在するわけですが、
常に外出時に香水をつけていた女性といざ同棲してみたら、香水をつけていない時の体臭が気になってしまって別れてしまう、なんてことが起きたという話もあります。
嗅覚は生きていくために超重要な役割を果たしています。
私がマレーシアに来た当初はマンゴーが大好きでした。
安くて美味しくて。日本で買うと高いですしね。
けど、ある頃からそのマンゴーにえぐみと薬品らしき臭いを感じ、美味しいと思えなくなったんですね。
しかも、マンゴーだけじゃありません。
実は最近、卵すら臭いが気になるようになりましたヽ(;▽;)ノ
農場ツアーで生の卵を食べたことで卵本来の香りに舌が慣れてしまったせいか、
おかげで普通の卵の生臭さ、卵なのに魚のような臭いが際立って気になり始める始末w
最近これを嗅ぐと気になりすぎてやむを得ず残してしまうので卵を買う時はかなり慎重になります。
調理方法も重要で、ゆで卵や半熟卵だとより気になります。
炒めると緩和しますが完全に生臭さが消えるわけではないのでやはり気になります。
ちなみに卵が生臭くなるかどうかは、養鶏生産者の腕次第で変わります。
このあたりは農場ツアーで詳しく解説しているので、ドリハンメルマガに登録して次の農場ツアーの日程のお知らせをお待ちください。
でもこれって実はフルーツも同じなのではないでしょうか?
土壌で消化・分解しきれなかった養分が植物の根から吸い上げられることで、植物が消化不良を起こしてえぐみとなり、フルーツ本来の香りを阻害しフルーツ自身を腐らせる元となっているように思います。
生命力のあった生き物は死んでも細胞内の消化酵素で自己消化、自己分解できるように、生命力のあるフルーツは収穫後も腐らず、自己分解できます。
なので単純に、「良い香りのする食べ物=体に良い食べ物」、
「臭い食べ物=体に悪い食べ物」と考えても良いのではないでしょうか。
もちろん香料などによって人工的に作られた香りが本物か偽物かを見分けるのは難しいです。
しかし基本的に、発酵と腐敗を嗅ぎ分けられる私たちの嗅覚は、良い食と悪い食を区別し、健康に生きていくためにあるのだと思っています(*・ω・)ノ
ちなみにドリアンも本当に美味しいものは臭くはなく、甘い香りや香ばしさが感じられます。
私は元々マレーシアの熱帯フルーツだけでなく日本の桃や梨、ぶどうといった果実も大好きです。
桃なんかはほんのりと良い香りが漂ってくると思わず食べたくなるものです。
それなのに現代には、マレーシアには、
香りのしないフルーツが多すぎます。
「香り」の優先順位
先に香りの優先順位が低いと言いましたが、なぜ香りが重要視されないのでしょうか。
それは、作り手にとって「値段の安さ」の優先順位の方が高いためです。
生産者はフルーツ1個あたりの単価を安くするために大量生産します。
もちろん大量生産でも香りを保つようにしている生産者もいるかもしれませんが、基本的には大量生産だと熟す前に早く収穫する必要がありますし、効率性を上げるために香りにまで注力するのはとっても大変です。
しかし現代はなぜこんなにも食を大量生産する必要があるのでしょうか。
飢餓人口の多い国ならまだしも、日本で飢餓状態にある人なんてほとんどいないでしょう。
さらに大量の食材が店頭に並び、一体どれだけの食材が買われずに廃棄されていることでしょうか。
安さの代償は一体誰が負っているのでしょうか。
フルーツの香りを大切にして生産するかは生産者次第ですが、香りがなおざりにされているのには消費者にも責任の一端があります。
なぜなら「嗅覚ではなく頭で考えて食べている」からです。
本来生き物は
香りがする→食べたくなる→食べる
お腹がすく→食べたくなる→食べる
という流れで食に至るのに対し、
現代の人間は
[食の常識、思いこみ、刷り込み]→食べる
という流れになっていて、
体が食べたいと感じていなくても食べることがあります。
「食」の意義
補足すると、頭で考えることが悪いと言っているわけではないです。
基点に立ち止まって考えてみましょう。
私たちはなぜ食べるのでしょうか?
なぜ食べなきゃいけないのでしょうか?
食べることが義務化していませんか?
惰性で食べていませんか?
なぜ1日3食食べるのでしょうか?
食べるってつまりどういうことでしょうか?
いつから私たちは3食食べるようになったのでしょうか。
「食べること」が人生のメインテーマになっていませんか?
お金を稼いで、食べることが目的で日々辛い仕事をしていませんか?
もしくは「美味しい物を食べること」が「人生の幸せ」と考えていませんか?
もちろん美味しい物を食べられるって幸せです。目的にしてもいいです。
しかしそれが人生の主目的になってはいけないんです。
私も以前までは食べることが超好きで(今も大好きですがw)、食べることが人生の目的と考えていた時期もありました。
しかしそれはただの食への依存でしかなかったんです。
私の場合、他に目標がなかったり、楽しみがなかったりすると、食への依存が悪化します。
惰性で食べたくないものも食べ続けてしまいます。
美味しいからと言ってファーストフードやポテチを食べると胃もたれと罪悪感に苛まれます。
けど残念ながら私は気づいてしまいました。
人間は7日間何も食べなくても生きていけることに。
生きるのに必要な要素さえ摂取していれば、食べなくても生きられます。
むしろ空腹状態になると頭が冴えてきます。
デトックスもできて肌の調子も良くなります。
お腹いっぱいで眠くなったり太るのを気にしなくて良くなります。
私はこちらの記事に書いたやり方でこれまで過去に5日間もしくは7日間断食を定期的に行っています。
しかもしばらく食べないと嗅覚が研ぎ澄まされるようで、普段何気なく食べていた安いミックスライスが臭く感じるようになりました(苦笑
何が言いたいかというと、私たち人間を含む動物は、
毎日欠かさず3食食べなくても十分に生きるだけの強い生命力があるということです。
言い換えるならば食べることというのは他者から力をいただくことです。
食べなければいけないというのは刷り込みにすぎず、その刷り込み(思い込み)に従っているから「頭で考えて食べている」のです。
本来の「食べること」というのは、嗅覚によってそそのかされ、本能的に欲しくなった時に食べるのが自然なのではないでしょうか。
目的意識がなくても本質的にはそれが自分に足りないエネルギーを補うためだったりもします。
しかし人間の嗅覚は万能ではありません。
例えば天然の香りなのか人工的に作られた香料の香りなのかといったことは判断できません。
だから私は、化学農薬や化学肥料は一切使わずにフルーツ自身の香りと生命力を最大限に引き出し、思わず本能で食べたくなるフルーツをマレーシアで栽培したいと考えています。
農場ができて、香りの良い美味しいトロピカルフルーツができたらお知らせしますので、ドリハンメルマガへの登録、しておいてくださいね(*ノωノ)